11.4 「安西先生・・・」 天皇杯4回戦大分トリニータ戦

ミッチー

フットボール・チームというのはサポーターを悲しませる方法なら次から次へと発明してくれる
                                                ニック・ホーンビィ

フクアリにちょっと遅刻気味で向かう道すがら。
先輩と「ここで悲鳴が聞こえたりして(笑)」
とか言ってスタに着いたら本当に2点入ってた・・・(泣)

「もう帰ろうか(先輩談)」
と言っても帰るわけにも行かずかなり真面目に応援してたのですが、
何よりも哀しかったのは負けたことよりもカップ戦を獲るのだという「意志」が感じられなかったこと。

ただそれを選手だけに押しつけるのはアンフェアだ。僕も遅刻したし、7000人しか入らなかったしね。

来年は「カップを千葉へ!天皇杯4回戦突破!」キャンペーンが必要かもしれない。

永遠の日曜日3

こんなに晴れた気持ちの良い11月の日曜日に無様に敗戦。

こういう試合をたくさん見ているからこそ、六年、七年、いや十年に一度の喜びにも出会うことが出来る。

またもやニック・ホーンビィ

うむ。

RIP ANTONIO

サッカーファンをやっていて学んだことなんて星の数ほどあるけれども、
一番はやはり笑いたいときには笑って、悲しいときは心の底から悲しむこと。
泣きたい時もあれば、それは誰かのためでも何のためでもなく泣いていいのだということである。
また同様に笑いたかったり嬉しかったら、そうすればいい。

勝利した後に、難しい顔しているなんてただの馬鹿だ。

プエルタへの手紙

とにかく今は泣こう。
ただただ悲しい。
それだけです。

RIP ANTONIO.

第5回!姉崎クリーン作戦 【夏の特別拡大版】

クリーン作戦

さてこんな時は、みんなで掃除でもしますかっ!!
というわけで、クリーン作戦のお知らせです。

僕も第三回に参加したことがあるのですが、ただただ掃除するのって実は結構楽しいんですよね♪
初めてお会いした人と色々おしゃべりしながらぷらぷらと良い天気のもと掃除する。
それだけで、サポやっててよかったかなと(思ったりもします。大げさですが。)

カターニャ戦も無くなってしまったことですし、練習でも見ながら。
しかも今回は土日両日開催ですので、お忙しい方もどちらか1日だけとかでもぜひ。

ではでは〜

===(イベント詳細(mixi))===

蒸し暑い日が続きますが、みなさん、体調管理はいかがでしょうか。前回(5/27)から少し間が空いてしまいましたが、5回目のクリーン作戦・夏の拡大版スペシャルをやります!人数の締め切りもありませんし、当日飛び込みの参加でも問題ありませんので、ふるってご参加下さい。
※開始時刻は当日の予定によって変更する可能性があります。前日までには確定しますので、大体の時間ということでご了承下さい。(7月17日現在)

【 開催時間 】

8月4日
 * 会場 姉崎公園
 * 時間 16:00〜
(練習が恐らく18時頃からと思われますので、その前にと考えてます。)

8月5日(当日はプレシーズンマッチ vsカターニャ戦が行われます。)
 * 場所 蘇我駅前 → フクアリまで(予定)
 * 時間 15:00〜(予定)

前回は告知のタイミングが遅くなってしまったため、参加を見送らざるをえない方がおられました。
その節は大変失礼を致しました。今回はまだ内容を煮詰めていない不確定な状態のままの告知で申し訳ないのですが、前回の反省を踏まえ、まずは日程から、ということで告知させて頂きます。姉崎公園はほぼ、上記の予定で行う予定で確定していますが、蘇我開催については全く今回が初めてです。皆様からのアドバイスをいただけると助かります。随時、詳細は書き加え&修正していきますので、皆様からの忌憚のないご意見を何卒宜しくお願いいたします。

【 過去のイベントリンク 】

[イベント]第4回!姉崎クリーン作戦 2007初夏
[イベント]第3回! 姉ヶ崎クリーン作戦 準備2007
[イベント]第2回! 姉ヶ崎クリーン作戦 総括2006(イベント追加)
[イベント]姉ヶ崎クリーン作戦2006

【 当日にご用意をお願いしたいもの 】
・黄色い服装、又はジェフグッズ
・軍手
・暑いので飲み物
・暑いので帽子、扇子や団扇など
(ゴミ袋は市原市・千葉市使用のものをトピ主が用意しておきます)

さようならイリアン

 さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
 はるかなる地の果てに咲いている 野の百合何だろう
 さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう
 やさしいやさしい夕焼と ふたりの愛は何だろう
 さよならだけが人生ならば 建てた我が家なんだろう
 さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう
 さよならだけが 人生ならば
 人生なんか いりません。

 寺山修司

サポコミ開催に向けて『有志の集い』のお知らせ。

お知らせ

『UNITED conference of JEF supporters』<略称:犬協(いぬきょう)>
さんよりお知らせデス。

『有志サポーターの集い』
【日時】7月21日(土) 17:00〜20:00
【会場】フクダ電子アリーナ 第二会議室
【定員】45名
【申し込み先】jef_conference@hotmail.co.jp

とのこと。ぜひみなさん参加いたしませんか。

先日サポ団体の連名で提出されました公開質問状へのクラブ側からの返答は、団体の関係者とだけ話し合いたいというものでした。このように現状では残念ながら一般サポーターは、ジェフというクラブにとって「腹を割って話し合うような」相手とはみなされていません。

ただではそこでどうしましょうか。このままでいいのだろうか。

このまま何もコミュニケーションが出来ないままで、心の底からジェフを愛する、応援することが出来るのだろうか。少なくとも昨年から数々の事件があった中で、まだジェフを信頼できるのだろうか。

そこで今回まずは犬協さんがこうした会を開催し、団体に所属しないサポーターの意見を募っていただけるということですので、

□イリアンの件をなんとかしたい
□クラブはイリアンの件について説明責任を果たすべきだ!
□クラブはサポコミを開催して、いろいろ説明して欲しい
□少しでもジェフを良いクラブにしたい

などなどと思っている方はぜひ21日にまずはみんなで話し合いませんか。
幸いまだ45名の定員には達していないそうなので!

それでは。

智擁護例解回答集 ※ご自由にお使いください。

【歴史バージョン】
・ジェフでも2年前くらいには、ボロボロに言われていたこと
・それでもイビチャは使い続けたこと
・そして2006年の前半に花開いたこと
・今はちょっと調子を崩しているだけ
・だから一年後か二年後には・・・

といった山岸のこれまでの歴史を懇切丁寧に説明し、長期的なスパンで見ることを促す。
(ここでオシム語録をいくつかひくのも効果的)

【逆切れ&理論バージョン(動きのよさ)】
「じゃあ代りに誰がいるんだよ!」
そこでFWの名前を出されたら山岸のプレースタイルについて解説。
機動力と得点力を切々と論じる。

決めフレーズは、「あそこにいたという事実を評価できないのかい?」
(「結果がすべてだ」と反論された場合⇒オシム本の「結果とプロセスの部分」を紹介)

それでもダメな場合⇒<皮肉バージョンへ>

【皮肉バージョン】※危険
「何でも批判するなんてセルジオ越後さんみたいな方ですね。」
「イビチャさんよりもサッカーにお詳しいのですね。」
「サッカーはやはり結果だけで判断しないといけませんよね(ニヤリと笑う。)」

【気持ち重視バージョン】
智は気持ちでプレーが左右されやすい。
ノリノリならとてもいいプレーをするのだ。
だからしばし待ちなさい。
⇒【歴史バージョン】に続く。

【一対一対決バージョン】※危険
「あなたはなぜサッカーをみるのですか」
「どういう選手がすきなのですか」

といったサッカー観に関する質問をどんどん投げかけ、ひとつひとつ潰していく。
ゆくゆくは「ジェフのサッカー最高」という方向へ持っていく。
(羽生の「人と人のつながりで生きている」といった台詞が有効)

【ヨーロッパの例えバージョン】

「ジダン10人」対「シュナイダー10人」のどちらが強いと思うか
「ジダン10人」対「ジダン9人+山岸」のどちらが強いと思うか

といった設問からサッカー観を問う。
⇒【一対一対決バージョンへ】

===

※この中から相手のタイプにあうものを、ご自由にお使いください。権威に弱そうな人には、<オシムの言葉>を取り入れるとより効果的。何でも批判とか文句を言う人には、<皮肉バージョン>でその馬鹿らしさについて教えてあげましょう。
※大きく分けて、1)サッカー観を問う、2)その中で効果的なプレースタイルについて問う、3)長期的な視野の提示がポイントです。
※ただし、親友・知人を失う可能性もありますので、使用法にはご注意ください。何よりせっかくあちらから話しかて来てくれるチャンスです。この機会にジェフの素晴らしさを説き、ジェフのサッカーを見に来させる良い機会だと思って楽しみながらやりましょう。

忘却はときには記憶と同じくらい重要である。

rat

『イソップ寓話』で有名なジャン・ド・ラ・フォンテーヌの箴言だそうだ。
川本梅花さんが今週のfootbolistaで書いていた「ディスクールで綴るフランスフットボール事情」のタイトルです。

こちら参照。
川本梅花のブログ版「フットボールのアフォリズム」

今シーズンのPSG(まあいろいろあって散々でした・・・)について結論がそう書いてあって、「無理やり忘れることにした。」という結論で、なんかそりゃねーよなと思った。そんなの忘れられるわけないじゃん。イビチャ・オシムが出て行って、祖母井さんが出て行って、次が阿部で、最後に坂本。でまたイリアン。どう考えたって無理やり忘れられる問題ではない。それは、これから試合に臨むたびにつきまとってくる。だからこそ、甲府戦の後の下村や巻の涙に感動できる。失われたものと彼らの背負ってきたものの大きさへの共感。たとえばパっと初めて甲府戦に来た人が突然感動はできないんじゃないかなと思う。

積み重なっていく小さな物語を背負っていくこと。そこにファンという「共同体」が立ち上がってくる・・・記憶が大事だ。誰よりもサポが背負っていかないといけない。どんなクソの中のクソみたいな出来事の記憶でもね。記憶を横にぽっと置いておくほどのあつかましさは僕にはない。

えっ審判と試合のこと?もう忘れたよ(泣)
とりあえず明日は姉崎ですね。

Whatever People Say You Are , ・・・

魂の二点。
得点だけでなく、今日の巻のプレーを見て心を震わせられない人がいるとはちょっと考えられない。
(一点目ですでに泣いているサポの人もいました。いや自分のことなんだけど(笑))
PK失敗はまあ、ご愛嬌ということで(笑)

戦術面でも久々に縦をつくスピード感溢れるジェフのサッカーが復活。
後半のゴール前への怒涛のランニング。
やっぱジェフはこうでなくては!

決してレベルの高い試合ではなかったかもしれない。でもこれほど心のこもった試合があるだろうか。例えばサッカーのサポーターをやっているとこういう試合に出会える。

そしてあと今日の魂のこもった試合を見て確信した。
やはりストヤノフの退団は断固阻止。
誰が何と言おうと阻止する。
わがままだとか、甘っちょろいとか、組織の規律がとかそんなの無視。
サポーターはわがままだ。
そしてジェフにはストヤノフが必要だ。

でさて、どうしようか?

フットボールサポーターって何やねん?

本棚

・・・とか敗戦の後(ようは最近ずっと)にすごく考える。
「何のために応援してるんだろ」とか、すげー死にもの狂いで応援している人(あっ、僕のことかも)を見るとふとそんな疑問が浮かんでくる。

フットボールにまつわる疑問や問題は基本的に二つしかない(といって間違いない。)

「フットボールはなんでおもろいのか」
「フットボールを応援するのはなんでか」

すごくシンプルな疑問。ただこれを考え出すと、きりがなくてグールグールと考えがまとまんなくなって眠れなくなったりする。それでじゃあってことでいろいろ本を読んで考えてみたりするけどよくわからない。例えば日本だったら、筑波大学の清水諭さんという人が日本代表と浦和レッズのサポーターを通してこの問題について書いている。

レッズ・トルシエ・ワールドカップ
サポーターカルチャーズ研究序説
「サッカーらしさ」の言説
メディアとサポーター研究序説
(「WORKS」という項目にあります。)

とか。ふとそんな疑問を持った人はこちらを読んでみるとすこしは納得するのかもしれません。
(僕はまったくもってダメでしたが!)

補強でなく、あえてカターニアを考える。

カターニア

フットボールは当たり前の話だが地球規模の出来事であり、ふとした瞬間にイタリア(シチリア島)と千葉がつながったりもする。それは紛れもなく、お金のためではあるんだけどこの際そんなことはどうだっていい。

森本凱旋も!カターニア来日決定(スポニチ)

そして昨日発売のfootballistaではカターニア(とその暴動)についていくつかの特集記事がくまれている。

もちろん今シーズン最大の出来事でもあった、一人の警察官の命が失われた2月2日の暴動とその影響について。どちらも真摯な記事になっている(と思う)。この問題を考えずに、来シーズンは迎えられないのだという真摯な気持ちが記事にあらわれている。詳しくは買って読んでみて下さいとしか言いようがないのですが、一つには、観客数とか安全対策について掛かった費用とかもろもろのデータからその影響について考えている。【カターニアの暴動はセリエAをどう変えたか(文/神尾光臣)】

もう一つは、ライター・写真家の宇都宮徹壱さんが3月に実際にその地を訪れた際のレポート。
【水平線と放物線 第一回 カターニアに降る雨(文・写真/宇都宮徹壱)】
基本的な話としてはスタジアムの外壁に描かれたグラフティを「肥大化した自己主張」の「破廉恥な光彩」として断罪しながら、ウルトラスの暴力事件もそれと同罪だとしている。ウルトラスやグラフィティのライターといった奴らは、スタジアムや街中、あるいは皆の記憶の中に「消しがたい汚点を残して、自分は安全な場所に身を隠してしまう」ような「行動様式」と「精神構造」を持ったとやつらだと。最後にカフェのオーナー・ガエターノさんの言葉「ウルトラスはファンではない。消えてなくなれ!」という言葉がその断罪を支える証言となっている。

ただけれどもこうした文章を読むとなぜかいつも悲しくなる。もちろん暴力事件、というか殺人であるからして断罪されるべきなのは間違いない。もしジェフで同様の事件が起ったら死ぬほどの恥ずかしさでもって、同じようなセリフを言うかもしれない(と思う)。というかサッカー自体もう見ないと思う。それくらいの事件だということはわかる。そしてカフェのオーナーの思い、あるいはそれを汲み取って今回記事にした宇都宮さんの気持ちもわかる。

ただでも悲しいのは、やはりいつだってそうやってライターとかウルトラスは断罪されてきたんだけれども、しかし少なくとも、世界中のウルトラスから「肥大化した自己主張」を取り除いたら果たして何が残るのだろうか(とふと考えてしまう。)フットボールの応援(その中でも現在のような応援)を一つの文化として考えるならば、それは68年以後の「自分達で何かをすること」への思い、あるいは観客が試合へ「参加」することへの欲求、あるいは自分達が「可視化」することへの欲求から生まれている。

すなわちサポーターは個人にして、他者と平等。自らの人生の行為者にして、可視的な存在でありたい、つまり単なる観客では決してなく、サッカーの完全なる行為者になろうとする行為のなかで極点にあるものをすべて望むのである。
(パトリック・ミニョン『サッカーの情熱』堀田一陽訳 2002年 社会評論社 pp261)

例えば、想像してみて欲しいのだがコパ・リベルタドーレスの決勝でボケンセの響き渡る歌声とあの華麗でスペクタクルな応援がなかったとしたらどうだろうか。パラパラと響く拍手と歓声だけだったとしたら?少なくとも僕はそんな試合なくたっていい。というのが言いすぎなら別にテレビで見ればそれでいいやと思う。

要は一方的に断罪する前にウルトラスというものがフットボールを応援するという文化を、(いやがおうにも)担っているということ。そのことへの敬意、敬意というのが言いすぎなら、理解と認識を欠いてはならない。暴動について考えたり、断罪したりするのはそれからだ。

※【水平線と放物線 第一回 カターニアに降る雨(文・写真/宇都宮徹壱)】は< <つづく>>と書いてあるので、後編があるかもしれません。